善法寺の歴史
沿革
善法寺は永正16年(1519年)豊後より
真宗門徒が移住し、この筑後川流域(現西尾上地)に
坊舎を建てて以来500年。
佐賀県の浄土真宗の寺院としては最古クラスです。
善法寺沿革
弓刑部少輔とは
奈良時代の皇族橘諸兄から19代の後胤に公辰という人があつた。「元暦二年(1185)三月依顕弓箭之高名。弓之名法以御下知征夷将軍頼朝卿」ある。その 弓公辰から11代目が弓刑部少輔である。
その時代は本願寺蓮如上人時代の後で諸国に真宗が広まり、豊後四日市にも布教使が上陸して開教していた。近くに居た刑部少輔は真宗に帰依して由須原(現西大分 梼原)から七百町の領地を去つて一族数百戸を連れて肥前国三根郡に来て開教しその他一円の数地区を開拓した。(善法寺開基 法名浄円)
善法寺沿革
永正16年(1519年)の開基で現在は第十九世住職である。
寺伝によれば「弓刑部少輔豊後之国、由須原七百町之領退去豊後而来住肥前之国三根郡於江口村。出家而号浄念。善法寺開基。」とある。
善法寺沿革
善法寺沿革
本堂は元禄10年(1697)に(1965と2007年屋根改修)、山門は天保年間(1830年代)に、鐘楼は明治11年(1878)に、庫裡は明治20年(1887)に(現会館は2014新築)再建されている。太平洋戦争の時、250年以前のものは金属供出せずにすんだが、梵鐘(元禄10年)半鐘(宝永6年)梵鐘(寛保元年)は献納された。梵鐘は昭和25年に再造されている。